薪ストーブはライフスタイルを変える

毎年10月に入り寒さを感じる様になるとワクワクし始める。薪ストーブを焚く季節が近いからだ。酷暑の夏に比べ、日本の冬は長く、11月から4月上旬までの半年以上薪ストーブが活躍する。おかげで冬場のライフスタイルが大きく変わった。薪ストーブは暖炉ではない。家の外から見ると屋根の上に煙突があったりして暖炉と勘違いする人も多くいる。でも暖炉よりも暖かいし、クッキング対応のストーブだと料理をする楽しみが大きく広がる。左の写真は新築時に最初に設置した日本製の板金型薪ストーブ。よく燃えたが料理はできなかった。

現在は二代目、米国バーモント州にあるVermontCasting社製 のEverburn(下の写真)が活躍中。 重さ約200㎏の鋳物製、発熱量約1万カロリーで一階からの吹き抜けと二階2部屋を温めている。
一代目よりかなり大型だが薪の消費量は逆に減っている気がする。板金に比べ分厚い鋳物が長時間蓄熱するのと、2カ所の空気レバーと底の灰トレーを調整することで、一気に薪を燃やし切らないで燃焼を抑えながら250℃前後のの巡航温度を長く持続できるからだと思われる。薪ストーブの勘所はいかに燃やすかではなくいかに燃やさないかだ。
大きな薪を深夜にくべると翌朝まで燠(オキ)とほんのり暖かい空気が残っている。
Everburnは、ご覧のように天板や炉内を使ってクッキングが可能。底についている灰トレーにサツマイモやジャガイモを入れておけばおいしい焼きいもベイクドポテトもできる。

昔は、田舎の家の中心部には『いろり』があったが薪ストーブはその現代版ともいえるかもしれない。ちなみに英語では薪ストーブをwoodstove又はHearthとも言うそうで、家のHeartの意味合いもあるとか。
薪ストーブの良さは何よりも遠赤外線の柔らかい暖かさ。 その証拠に同居の猫が火が燃えている間中、ストーブの前に寝転がって動こうともしない。薪が燃え尽きて火が消えそうになるとニャーニャー騒いで知らせてくれるのでストーブ番の役には立っている。また赤い炎が様々に揺らめく様子はいくら見ていても飽きない。かすかな乾いた薪の匂いやぱちぱちと燃える音も趣がある。そして最大の楽しみは料理をしたり、パンを焼いたりできること。冬の冷たい雨や雪の日は、暖かいストーブの前でクッキングを楽しむ絶好のタイミングとなる。翌日もしばらくの間、オリーブオイルの焼けた匂いやパンの香りが部屋に余韻を残しているのも悪くない。

猫はストーブ番

猫はストーブの前で何思う?

私たちは、文明の進化とともに便利さと効率の良さをひたすら追求してきたが、実は便利と思っていることは本物の贅沢を失っていった過程なのかもしれない。非効率な昔の生活に目をやるととんでもない楽しみと本物の贅沢が転がっていたりする。最近よく話題になる里山資本主義とは、その失った本物の贅沢を少しだけ取り戻すことなのかもしれない。

薪ストーブの燃料の薪は木を割って1年以上乾燥したもの。しかもその木は松や杉などの針葉樹ではなく、ナラ、クヌギなど、秋に落葉する広葉樹を使う。建材などの端切れを燃やす人もいるが、針葉樹は概してクレオソートという油質が多く、コレステロールの様に煙突内部に付着蓄積して空気の流れを悪くし、最悪火災の原因になることもあると言われている薪の準備は大変そうに思えるかもしれない。でも結構楽しいもの。里山に住んでいれば必ず近くのどこかで伸びすぎた雑木を伐採する場面がある。道路沿いや河川に向かって伸び過ぎた木を切り倒したり、電力会社が電線にかかる雑木を伐採するなどなど、撤去には手間や費用がかかるので搬出して処分してあげれば感謝される。山にとっても適度に間伐することは木々の健全な生育に断然プラスで、日当たりが良くなって何年かするとまた薪にできる木が成長してくる。薪もまさしく再生可能エネルギーで自然の循環の中にある。

薪割りもそれほどむつかしいものではない。何より大きな丸木がぱっくり割れた爽快感は格別だ。現在は2.4kgのハンマー斧を使っている。ゆっくり振り下ろすだけで、素直な木は大半割れる。  枝の節目があるくせ木は割れにくいが、よく観察すると急所的な弱い部分もあったりして、斧を入れる角度や方向、上下返しなど的中するとこれも爽快だ。くせ木と格闘して汗をかくのも良い。

 







 

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