昨日で無事にこの旅最大のハプニングになるだろうD銀行騒動が片付いたので、今日は心置きなく南イタリアの人気スポット、アマルフィ海岸の真珠ともいわれるポジターノの日帰り旅行を楽しむこととしよう。例によって庭のレモンの木の下で手早く朝食をとって農家宿を出た。La Lobraのアグリツーリズモに来てすでに5日目だ。Massa Lubrenseのセンターへの狭い登り道も慣れたもの。途中いつも横目に見て通り過ぎた魚屋さんとワインの店と肉屋さんをぞいてみる。田舎の魚屋さんという雰囲気でサバやタコなど見慣れた魚も並んでいる。ワインは銘柄ごとにタンクからの量売り。肉ももちろん大半がブロック売り。要は地元産の食材を余分な運送やパッケージのコストと時間をかけることなく直接新鮮なうち安く消費者に届ける昔ながらのスタイルといえる。いわゆる何でもありのスーパーはほとんど見かけない。
いつものタバッキでバス切符を購入してソレント中央駅前へ直行。朝9時、さすがにこの時間のポジターノ行きバス停は長蛇の列だ。結局定期便には乗れず、幸い臨時増便が出てかろうじて拾われた。ソレントからポジターノへはソレント半島のちょっとした尾根を登り反対側の海岸にそって急カーブをこなしながら走る。海側沿いの道路はルートのほとんどが水面からははるか上の断崖絶壁を走る。その分眺望が効いてソレント半島独特の素晴らし眺めを満喫できる。
ポジターノという名のバス停は街の西側ソレント寄りと東側のアマルフィ寄りの2か所ある。正確にはソレント側がポジターノ・キエーザ・ヌオーヴァ(Chiesa Nuova)、アマルフィ側がポジターノ・スポンダ(sponda)というらしい。ソレント側は急勾配の街並みが丘の頂上まで続きその頂上付近にある。したがってこのページ頭の絵に描いた様にポジターノの絶景が眼下にひろがることになる。バス停から少し戻った角にあるフルーツ屋でリンゴを買って取敢えず絵が描ける場所を探して歩き始めた。街の中心部へは後回しにするとして、バス通りの一つ下の道Pasitea通りを西に向かった。やがて両脇に4つ星クラスのホテルが次々を現われる。急勾配なので大きな建物ではないがそれなりに居心地がよさそうだ。Hotel Pasitea前の道路脇に少しスペースがあり素晴らしい眺めもあったのでここでしばしSurfaceタブレットに絵筆を走らそう。
いつものようにLa Lobraの朝食残りのパンと先ほど買ったリンゴをかじりながら、バタバタとタブレット画面でタッチペンを動かした。少し荒っぽい絵のなか沖合に見える3つの小島は Il Gallo と呼ばれ、ギリシア神話の半人半鳥セイレーン(Sirene)がいた島とされる。ナポリにもセイレーン像の噴水があるらしい。セイレーンは美声の美女で沖合を通る船乗りをその声と美貌で惑わして暗礁に誘い難破させたという。海流や暗礁で危険な海域を示唆したらしい。現実にはこの島は多くの人の手に渡り建築家コルビジェ設計の邸宅ができて以来ロシアの振付師やバレーダンサーの所有にもなったとか。
さて、いよいよ街の中心部に降りて行こう。パジテア(Pasitea)通りをつづら折り状にたどれば迷いなく中心部に接近できるが、時間の節約のために狭い路地を抜けて直線的にショートカットする。途中再びつづら折りを下がってきたパジテア通りに出会い、その急カーブの先端にCafe Positanoという店があって、その位置からの眺望がすばらしそうに思えて中に入った。テラス席からの眺めに息を止めながらトマト系の料理とワインを注文した。
ところが出てきたのは変哲もないトマトとツナのサラダだった。もっとトマトソースパスタのようなホットプレートを期待していたので少々拍子抜け。でもこれも食材そのものの味を大事にするイタリア料理そのものでもあるらしい。飽きない眺めとエスプレッソの香りに包まれ、その悔しさもすぐ消えた。イタリア流に砂糖をたっぷり入れた小さなカップの濃い味と香り。この眺め、この空気、耳をくすぐるイタリア語、ここは南イタリア、ポジターノ。至福の時。
ここから下の砂浜まではまだかなり下る必要がある。このカフェのすぐ横に幅1メートルほどの狭い路地階段があり、矢印とともにBeachと表示の小さな看板がある。ここを下ろう。またまたつづら折り状の細い道をしばらく下ると麻系の衣類を売る店が多く現れてきた。ポジターノは麻系のファッションのメッカでもあるのだ。やがて丸いドームがこの街のシンボルであるサンタマリア・アッスンタ教会の横に出て、視界が砂浜と青い海に向かって一気に広がった。
ポジターノの海辺は隣のアマルフィに比べて随分落ちついた雰囲気だ。おそらく車道が街の中心には入っていないのと、サンタマリア・アッスンタ教会が浜辺に直接面しているせいだろうか。アマルフィは残念ながら、浜辺と背後の教会を含む街の中心が大きな車道やバス駐車場で分断されている。そのせいもあってかポジターノは静かな高級リゾートとしての人気が高い。
この独特の風貌と高級リゾート感故に多くの映画のロケ地にも選ばれている。2009年「アマルフィ・女神の報酬」では、主人公の黒田康作(織田裕二)と矢上紗江子(天海祐希)がこの砂浜のベンチに座り込んで海を見ながら話し込むシーンが印象的。この映画でアマルフィやポジターノを知った日本人は多いと思う。主題歌を歌ったサラブライトマンもこれで一気にブレークした。でもポジターノとアマルフィは一見よく似た町並みなのでポジターノをアマルフィと勘違いしている人も多いように思われる。
もう一本の映画2003年「トスカーナの休日」では、ダイアン・レーン扮するフランシスが離婚で傷つき訪れたイタリアで、いわゆるイタリア男と恋に落ちるのがこの砂浜。フランシスが衝動的に購入した家はトスカーナなのだが、この恋人の家がポジターノの設定なので存分にポジターノ景色が楽しめる。ここで拾った子猫がその後のフランシスの慰めにも。
さて、そんな砂浜をブラブラしているうちに、先ほど下ってきた急勾配のふもとにオープンテラスのちょっとおしゃれなリストランテに出くわした。すでに午後2時頃で昼食をとる客はほとんどいなかったが、Cafe Positanoでの食事が前菜的で中途半端だったのでもう一度何かちゃんとしたものが食べたかった。オープンテラスなので気軽に入れそうだが、よく見るとナプキンが立っているし建物がHotel Covo dei Saraceni という5つ星ホテルにつながっているのでひょっとしたこのホテルのAnnexなのかもしれない。今度こそはと思って注文したトマト系の料理は大当たりだった。パスタの一種だが麵ではなくカネロニでもない。どちらかというとラビオリのちょっと大きなものに近い。中に肉系の具が入っておりトマトソースにバジルを添えてたっぷりのパルミジャーノの様なチーズがかかっている。今日やっとPrimopiattoにありつけた。それも極上のワインとともに。
海辺の一角に目をやると、桟橋の船に向かって長蛇の列ができ始めていた。街の東側にも足を延ばしてみたい気もしたがすでに3時近い。帰りはこの桟橋から船でソレント半島をぐるっと回り、滞在中のMassa LubrenseのLa Lobraの港を遠くに眺めながらソレントに到着の予定だ。この人込みでは今のうちの乗り込んだ方が安全の様だ。
帰れソレントへという曲のメロディーを思い出そうともがいているうちに船は断崖絶壁下のソレント港に着いた。「レモナイ!レモナイ!」というレモネード・スタンドのお兄さんの声が下船する乗客に向かって響き渡っていた。日没までの短い時間をおしんで、黄昏のソレント港の風情を殴り描きしてみた。ベンチの下で2枚の絵に付き合ってくれた子猫が「下手くそ!」と言っていたかもしれない。ソレント港は猫たちの天国でもあるようだ。