南イタリアの旅⑤・カプリ島のラビリンス

日曜日は、週に一度だけこのマッサ・ルブレンセの港マリーナ・ロブラからカプリ島への日帰り小旅行 (Excursion) の船が出る日だ。カプリ島へ向かう観光客の大半はナポリあるいはソレントの港から頻繁に発着する船を利用する。マッサ・ルブレンセは日本人などほとんど立ち寄ることのないソレント半島先端のひなびた小さな港町だ。8時過ぎから庭のレモン林の下でお決まりの朝食をすました泊り客はそれぞれにそそくさと立ち去っていく。どうやら大半のグループが今日はカプリへ向かう予定のようだ。

昨日まで閑散としていたマリーナが今朝は打って変わってがやがやとにぎわっている。9時出航のクルーズ船には、昨日朝食を一緒したドイツ人のクルツ夫妻もすでに乗り込んでいた。今日は快晴とは言えない天気だが、6月の地中海の陽射しはさすがに厳しい。奥さんはしっかりサングラスをして別人の雰囲気だ。こんなこともあろうかと持参した慣れないサングラスを恐る恐る着けてみた。

船上からみるMassa Lubrenseはかなり美しい。マリーナに面した古い建物群が小高い丘にそびえる教会につながり、さらにその上の方にオリーブやレモン畑の緑が広がる山の中腹に、ソレントへのバス停留所などもあるマッサ・ルブレンセのセンターの街並みが見える。右側に目を移すと、昨日トラバースした尾根がマッサ・ルブレンセをぐるりと囲んでいる。

カプリ島は断崖絶壁の島だ。周囲僅か17kmの小さな島だが、最高峰のソラーロ山は標高600m近くあり、頂上付近に雲さえ湧いている。島に近づくにつれ、二つの大きな奇岩が出迎えてくれた。片方は中央に僅か船一隻辛うじて通れるほどの穴が貫通しており、船長は迷わずその穴めがけて突進しているようだった。

ところで、かのドイツ詩人ゲーテの『イタリア紀行』によると、1787年5月、シチリア島を訪問したゲーテはナポリへの帰途にあったが、ティレニア海(イタリア半島西側とコルシカ・サルディニア島とシチリア島に囲まれた海域)からカプリ島とソレント半島間の海峡を経てナポリ湾に入る手前で、ひどい凪に会い帆船が一日漂流する騒ぎがあったらしい。おそらくこの大きな岩の近辺と想像される。(ナポリ湾カプリ島地図)
曰く、『船客達は、船長と舵手に対し、技術が拙いために海峡に入れなかったばかりか、船客の人命、財貨その他すべてを危険にさらすことについてひどく非難した。船長は不安の原因について、この無風状態こそが心配の種で、すでに船はカプリ島の周囲をめぐっている潮流の中に入っている。この潮流は奇妙な波のうねりを寄せながら、否応なしにあの切り立った岩の方へと流れている。あの岩には足をかけるべき突出もなければ、避難する入江もない』 船員たちはボートを降ろして縄で本船と結びつけ、水夫達が櫂を漕いで本船を曳こうとしたが無駄だった。『船員が大きな竿を手にして、いざという場合は、岩に突っ張って船の衝突を防ごうと身構えているのをみると、船の動揺はより激しくなり、岸打つ波はますます多くなってくるように思われ、船酔いがぶり返してきた。』 幸いゲーテが船室に降りて昏迷状態で時の経過も分からない間に、少しずつ風が吹き始め、船はソレント半島をかすめて無事ナポリ湾に入ったらしい。そのとき、正面に姿をあらわしたベスビオ山は強烈な爆発でもあったらしく、もうもうたる水蒸気の煙が東方に長くたなびいていたという。

カプリ島の表玄関は、ナポリやソレントからの観光船が発着する北側のマリーナグランデだ。そこからはケーブカーで標高100m余りのカプリ地区のセンターに上がれる。今回の私たちの船はそのカプリ地区を挟んで真反対の南側にあるマリーナピッコラに入港した。こちらは観光港というよりプライベイトな勝手口といった静かな雰囲気である。しかし、地形的には両方とも小高いカプリ地区に連なる急傾斜が背後に迫る入江であり、つづら折りの道が伸びている点でもよく似ていた。
このことが後に奇妙な錯乱をもたらすこととなった。


南側からはケーブカーもないので、クルツ夫妻ほかドイツ人グループと一緒につづら折りのマリーナピッコラ通りを歩いて登り始めた。カプリ地区まで1km余りだから30分位で登れるだろう。しばらく登って一休みしたとき、道路脇にアウグスト庭園方面という脇道への標識が目に入った。アウグスト庭園はカプリセンターのすぐ下にある庭園でガイドブックで確認済みだった。
「適当に絵を描くスポットを探すので脇道を先にいきます。」と言って、クルツ夫妻達と別れ先を急いだ。しばらく歩いて頂上尾根のカプリ地区に到着。さてどこか絵になる場所、できればマリーナグランデを見下ろせるような所を探して今日の一枚を書こうと反対側の斜面の道路を少し下ってみた。すると突然横の小道から先程分かれたクルツ氏が現れた。ビックリ当惑した私の顔をみて「休憩場所にバッグを忘れたので取りに行ったんですよ。」と・・・。でもなぜこんなところから現れるのか頭が混乱しているうちにクルツ氏はセンターの方に走って消えた。

さらに少し下ると大きなヘアピンカーブがあり、その内側に小さな公園があった。クルーズボート型のベンチもあり、そこからマリーナグランデが見事に見えていた。少し出来過ぎの場所だが、絵に描かない理由はなかった。しばらくするとどこからともなくスーッと中年の女性が現れ、公園の一角にある蛇口の水は飲めると言い、私のカメラでマリーナを背景に写真を撮ってくれて消えた。
小一時間ほど筆ならぬタッチペンをタブレット画面に走らせて絵は完成、空の余白にMarina Grande,Capriとメモを入れた。イタリアに来て何枚目かの絵は多少スムースに描けるようになってきた。

正午を少し過ぎていた。午後2時半にマリナーピッコラに集合だから、マリーナグランデで食事してケーブルカーでセンターに戻れば大丈夫だろうと考えて、足早につづら折りの道をさらに下り続けた。次の大きなヘアピンカーブを曲がったところで何かが変なことに気が付いた・・・
なんとそこには午前中、クルツ氏等と休憩し脇道にそれたあの場所が現れたのだ。一瞬頭が白くなった。ということは今しがた描いたのはマリーナグランデではなく、反対側の今朝到着したマリーナピッコラであることにも気が付いた。さきほどクルツ氏がバッグを忘れて取りに戻ったのはこの場所だったのだ。しかし、なぜ、どこで方角感覚が180度ひっくり返って、北側のマリナーグランデに向かうつもりが再び南側のマリーナピッコラ方面に戻っていったのか、迷宮(Labyrinth)の迷路に入った様にいまだに釈然としない。

かなりの時間ロスが出たため、マリーナグランデ散策は諦めてカプリセンターに戻り、フニクラ駅展望台にあるトラットリアで手軽に昼食を取った。ここからの眺めは抜群だが料理にイタリアン・テイストを期待できるところではなかった。そもそもカプリ地区は観光客がぶつかり歩くほどの混雑ぶりで、日本人を始めアジア系の人々も多い。街並みには、ブラダ、ブルガリ、エルメスといった高級ブランド店が軒を連ねている。ここまで来て高級ブティックでの買い物はないだろうと思いつつ、早々にマリーナピッコラへの細い道を下った。

島の北西部にある青の洞窟(Grotta Azzura)もカプリ観光の目玉だ。半時間前にマリーナピッコラに集合して乗船する頃は、曇りで波もあり洞窟には入れない可能性が高いと伝わっていた。しかし船が島を半周して洞窟に近づくころには徐々に日が差し始めて人々はにわかにざわめいていた。洞窟前の海面一体は大小雑多な舟で混雑していた。洞窟へは本船から船頭付きの小さな手漕ぎボートに乗り移り、入場料とボート代約12ユーロを支払って、皆仰向けになりながら高さ1mに満たないほどの小さな穴に入っていく。穴の中は数十メートルと予想外に広く、闇の中を透明感のある青い光が水中から反射して幻想的な雰囲気に満ちていた。

帰国後に見た映画のなかに、この洞窟に入った若きソフィア・ローレンがボート上で衣服を脱いでこの青い海面に飛び込み、泳ぐ姿が黒いシルエットで流れるシーンがあった。この青い海をさらに幻想的にした美しいシーンだった。『ナポリ湾』(原題:It started in Naples) は1960年の作で、当時26歳のソフィア・ローレンがクラークゲーブルと共演したラブ・コメディ。若き日の彼女がはちきれんばかりのイタリア女性の元気をまき散らし何とも魅力的だ。この映画を機に彼女は大女優への道を歩き始めたのだとか。舞台の大半はカプリ島で、マリーナグランデの岸辺の生活をベースに青の洞窟の他、偶然にも今回絵を描いたヘアピンカーブの小さな公園からのマリーナ・ピッコラの眺め、ピッコラ沖のアーチ型奇岩の通り抜け、フニクラ頂上駅の展望台など、今回の小旅行と重なる景色やシーンを存分に楽しむことができた。

洞窟のなかでは、船頭がそれぞれに自慢のイタリア歌曲を唄う。私たちの先頭は『帰れソレントへ』を熱唱、その声が洞窟の岩壁に見事に反響していた。(初音ミク版『帰れソレントへ』)

南イタリアの旅④マッサ・ルブレンセの丘で描く /

 

 

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