2019年6月6日、東京渋谷のLOFT9で開催されたソーラーシェアリング推進連盟の設立一周年記念シンポジュームにトークゲストとして登壇する機会を得た。当日は午後一時から環境省、農水省、経産省の各幹部のショートプレゼンに続き、重家が中山間の小さな農家を代表し、また匝瑳ソーラーシェアリング代表の椿茂雄氏が平地の大型設備を代表して事例報告を行った。その後「有機農業とソーラーシェアリング」と題して、オーガニックフォーラムジャパンの徳江倫明会長と鴨川自然王国の自称半農半歌手藤本Yaeさんの特別対談、その対談は後半、城南信用金庫顧問の吉原毅氏、みんな電力代表の大石英司氏、推進連盟代表理事の馬上丈司氏を加えての討論へと展開した。最後の1時間は、会場の椅子を片付けて登壇者と会場参加者が入り乱れてアルコール片手に、ライブハウスならではの賑やかな交流会となった。
※当日の写真とレポートがSolar Journal にも掲載されました。こちらから。
<重家プレゼン「ソーラーシェアリングがもたらす里山のわくわくライフスタイル」>
1.不採算な小規模稲作農業と高齢化で里山の多面的循環機能維持が危惧されるなかで、ソーラーシェアリングの導入が、耐える農業から持続可能な自然エネルギー農家への転換を可能とする時代が見え始めた。その数字的裏付けなどを説明。
2.当方の「わくわくソーラーファーム」は里山に多い四角形とはいえない不整形な農地にも対応しているほか、ソーラーシェアリングの単管支柱構造を活かして、①トマトの常設吊り下げ棚を設置したり、➁防鳥防虫防獣用にパネル直下畑800平方メートルを1ミリネットで囲ったり、③原木椎茸ハウスを作ったりするなど、農業用施設としても不可欠な存在となっている。
3.防虫ネットによる減農薬に加え、身近に入手できるヌカとモミ殻をアミノ酸酵素液で好気性発酵させたボカシのみを肥料として使い続けて4年目に入っている。窒素系化学肥料の過剰摂取による土壌や大気への負荷懸念や無機肥料の栄養素バランスの難しさから解放された。
4.中山間の里山だから出来るもう一つの自然エネルギー活用として薪ストーブを使っている。薪の調達は身近な山林との関わりを密にするとともに、大量の薪割りや1年以上の乾燥作業など労働としてではなく、体や心に心地よい運動としてとらえている。
5.ソーラーシェアリング畑から自分で栽培収穫した野菜を自ら料理することで、里山ライフが一層楽しいものとなっている。上記薪ストーブでの料理はアウトドアライフ的贅沢感も満足させてくれる。また、トマトとバジルが畑だけでなく料理レシピでもコンパニオン関係にあることや自家製トマトソースの作り方など、SCの産直コーナーでの消費者との対話は販促にもつながっている。
6.これからの里山ライフは、ソーラーシェアリングがからむことで半農半エネ+Xととらえることも可能で、X(エックス)で何をするかはあなた次第であり様々に展開できる。また農業と自然エネルギーのたおやかな循環のリズムに合わせたライフスタイルには多忙な都会では想像しにくい癒しと安堵感がある。
7.最後に少しマクロ的見地から、政策提言もどきの話を二つした。現在進行中の都市集中シナリオがこのまま続けばいずれ日本は財政・環境的に持続不能となる。その回避には地方分散が有効だが、それとて20年以内にエネルギーの地産地消と地域内資金循環定着に成功していないと、前者同様に格差・出生率・健康寿命・幸福感が悪化し持続不能になるというAIを使った大規模なシミュレーションがある。そこで人口19万人の東広島市を例に、農地10%にソーラーシェアリングを設置するとどんな未来予想になるか試算した。結果は、生活用電力がほぼ100%近く賄えて100億円以上の資金流出が地域内に留まり拡大循環を始めことがわかった。
8.この「農10SSPlan (ノウテンエスエスプラン)」が全国に展開されると日本の総発電量の22%が賄え、太陽光発電の既存分と未稼働在庫分さらに水力等を加えると総発電量の約45%が自然エネルギーとなる。変動型自然エネルギーだからこそ、その電力需給調整にAI技術を使ったVPP(バーチャルパワープラント)やEV(電気自動車)が新成長産業として大躍進するだろう。方針さえ決まればモノづくり日本の真骨頂を発揮でき、現在も急低下中の発電コストが世界並みの最も廉価な発電源になるだろう。現行8%のエネルギー自給率から約5割を国内で賄えるようになれば毎年10兆円単位での資金流出が国内に留まって循環し、中東情勢に怯えることも減り、日本の地政学的立ち位置も激変するにちがいない。
9.40年にも及ぶ米の減反政策で水田の4割近くが保全管理という名のもとにほとんど作付けされない状態が続いてきた。一方で、ソーラーシェアリング直下農地には、その地域の同一作物の平均的単収に比べ2割以上収量が減ってはいけないとの厳しい設置基準が課されている。露地栽培による野菜収穫量の不確実性と平均的単収の不明確性のもとでの、減収率2割以内という絶対数値の求めに多くのまじめな農家が悩んでいるだろう。今ほど重要性の原則にのっとり、大局的判断が求められる時はない。
<ソーラーシェアリングとウェルネスファーマー>
徳江氏は藤本Yaeさんとの特別対談のなかで、有機農業の普及を目指した「大地を守る会」にともに関わった故藤本敏夫氏についてふれ、農業の復活と都市生活の活性化を図るためには、ウェルネスファーマ―(藤本敏夫氏の造語)という概念がキーワードになることを紹介した。ちなみに藤本敏夫氏はその後鴨川自然王国を設立、現在この自然生態農場を引き継いでいる藤本Yaeさんの父であり、歌手加藤登紀子さんの夫でもあった。
さて、ウェルネスファーマ―とは一体どういう概念なのだろうか。その前に【wellness】とは【well-being】にも近く【illness】に対峙する言葉とされるが、単なる【health】とは異なるようだ。
一般的にはウェルネスの概念は左図のように8つの次元として図示されることが多い。それは体やこころの健康な状態を表すにとどまらず、社会的つながり、職業的やりがい、知的創造的な取り組み、精神すなわち人生の目的や意味の探求、周辺あるいは地球的環境、そして財務経済的側面が総合的に相互作用を起こした結果、全体としていい感じであるように個人が意識的に行うということらしい。心身ともに健康であることを志向しつつ、経済的社会的にも相応の満足な状態を維持し、身の回りの環境さらには不安定な地球環境が自分に及ぼす影響をも気にしながら、創造性を追求、知的好奇心をくすぐる活動など心を楽しませるものとしてポジティブに取り入れる。それは他人に任せる選択ではなく、あくまで自分自身に問いかけ意識的な生活のなかで自ら選択し続ける前向きなライフスタイルであり、結果としての固定状態ではなくその行動プロセスが重要という。
藤本敏夫氏のいうウェルネスファーマ―とは、21世紀に入った現代の都市生活がややもすればウェルネス的要素の実現が難しい時代に入りつつあるとの想定で、このウェルネスの状態を農的生活の中に見出そうというライフスタイルをいう。ウェルネスファーマ―とは必ずしも業としてのプロ農家である必要はなく、ウェルネス的要素をもってさえいれば兼業農家でも趣味的農業者でもかまわない。それは都市生活と里山的農業生活との仲介者的役割を期待された存在でもある。その理解を深めるには、少し歴史をさかのぼって農村と都市の関係から思いを巡らしてみる必要がありそうだ。
かって人類はその歴史の大部分を森と水の循環で豊かに保たれた多様な生態系の中に暮らしてきた。個体数の増加とともに平地に移動し里山といわれる適度に手をいれた暮らしやすい自然循環環境をベースに採取・飼育・栽培などの農的生活に移った。
ところが直近200年ほど前に、リカルドの発見した比較優位に基づく分業的生産方式と、その後の産業革命による劇的な工業生産方式の登場とそれに伴う消費刺激とがあいまって、人類の主要な生活舞台は里山農業から海岸平地の商工業都市へと転換した。さらに100年ほど前にハーバーボッシュ法による空中窒素の固定化技術が出現すると、それまでの有機循環的農業から合成窒素肥料による農産物の大量生産が可能となった。1950年代からは石油による流体エネルギー革命も加わり、世界の総人口は100年前の20億人から78億人へと短期間で著増している。
著名な経済学者ケインズはかって資本主義の急速な経済発展による物資の充足と所得増加で、2030年ころには一日3時間も働けば皆が「より良い暮らし」ができるユートピア社会が到来するだろうと予言した。しかし食料とエネルギー供給の急増を背景に世界人口は大幅に予想を超え、人間の欲望も際限なく拡がりGDPを指標とする経済成長信仰が定着して、ケインズの予想はあえなく外れた。効率化のための分業がますます徹底され、創意工夫や知恵を働かせる余裕もなくルーティンをこなす毎日がつづく。言われたことをまじめにやる思考停止の日常性は時として、当事者意識がなくても大組織の歯車のなかでとんでもない巨悪の結果につながることもある。
経済発展で飢餓も減り物質的にはそれなりに豊かになったのも確かだろう。が一方で、化石燃料は枯渇する資源をむさぼっているにすぎず、使うほどに二酸化炭素の温室効果が進む。2015年パリ協定では産業革命以後の世界の平均気温上昇を1.5度以内に収める目標だがすでに1度上昇済みで今後20年以内に1.5度目標超えは確実という予測もある。1.5度目標達成には15年以内に化石燃料使用を半減、30年以内にゼロにする必要があり、失敗すると制御不能な気象変動に遭遇することになるという。また過剰摂取の窒素化学肥料と農薬の悪循環もまた大気や土壌の自然循環と生態系を壊しつつある。上記グラフをみてもこの50年間の人類の活動はいかにも急激で激しく、相対的に小さくなった地球にはとても耐えられないもののようにおもわれる。しかも最近の経済成長による富がほんの一部の富裕層にかたより、逆説的に経済発展と貧困化が同時進行する現象も出はじめている。人々の「より良き暮らし」の追求と経済成長一辺倒のGDP信仰の共存は徐々に難しくなりつつあるのかもしれない。
経済成長に伴う所得増加によりある一定額、米国の研究では年収7万ドル程度、までは比例的に幸福感が上昇するが、それを超えると自己満足はすれど幸福感の高揚にはつながらないという研究もある。では幸福感をもたらすベースともいえる「より良き暮らし」とは一体どんなものなのか。スキルデルスキー著「じゅうぶん豊かで貧しい社会」では、より良き暮らしを形成する7つの要素を普遍的価値としてあげている。健康、安定、尊敬、人格または自己の確立、自然との調和、友情、余暇。日本語訳が多少舌足らずな感はあるが、上記ウェルネスの図と酷似しておりこれらを重ね合わせて考えると面白い。ウェルネスファーマ―であることの強みは、健康、自然との調和、積極的余暇そして安定平和でろうか。早朝から深夜まで通勤や仕事で多忙な都会生活ではなかなか目に入らない田畑や山の緑の息づかい、思わず深呼吸したくなる新鮮な空気と清流のせせらぎ、自然の循環に合わせたゆったりとした生活、それは健康のベースとなる自然の安らぎと癒しに満ちた安定平和そのものの世界だ。そこにはけたたましく煽る電車の発車ベルや組織内の難しい人間関係もなく、業績数値に怯えるブルーマンデーもない。そこでは何事もひとから強制されてやるのではない。おもいのまま自由にみずからの生活を形成し、その生活を楽しむことが可能な世界だ。
さらにここでいう余暇とは、単なる休息とかリフレッシュのためのレジャーなどの受身的意味ではなく、精神を働かせ知性や感情に訴えかけて積極的に自らそれをしたいからするものである。それは都会での仕事や人間関係でフル回転しストレスをため込んだ左脳の緊張を解きほぐすことにつながる。左脳は詳細な数字や事実を論理的に言語で認識し、既成枠を重視しながら堅実に現実主義で現在を理解する働きをする。現代の仕事社会では大半この左脳機能が酷使されているという。そのストレスを和らげるには、休ませるだけでは効果がなく、積極的に右脳を使って両者の活動バランスをとるのが良いとされている。そこで右脳の特徴をみると、感性・想像力・大局観にもとづき既存の常識や枠組みにとらわれず未来の可能性を考え哲学瞑想しつつリスクもとる働きをするとある。なんと今の日本に欠けている要素の多いことか!そして結果的には創造性や芸術性にからみアナログ的にリラックスした状態をいうらしい。絵やデザインを描くことや、文筆、楽器演奏、スポーツ活動、料理や旅行、DIY工作、菜園ガーデニングなどなどゆったりした自然環境のなかで時間におわれることなく、積極的に自ら楽しみ没頭する熱中活動をいうことのようだ。英国首相だったチャーチルは両大戦をまたぐ激務のなかで、絵を描くことを最大の気晴らしとし40歳から50年間、仕事での出張中も絵筆を持参したという。「作画ほど精神が溶け込んでいくものをほかに知らない。どんな心配や将来の脅威もいったん絵を描き始めたらそれらは心から消えてゆく。」と述べている。右脳を最大限活用する画家の平均年齢は、一般人のそれより数年長いという統計調査もある。左脳と右脳のバランスを取り戻すことは幸福感の増進のみならず、健康寿命を伸ばすことにもつながるといえそうだ。
その意味で、ウェルネスファーマ―の農的生活は、休眠中の右脳を目覚めさせる理想的なライフスタイルに近いともいえるかもしれない。時間に追われて緊張がつづく都会生活では、週末はヘトヘトの心と体を休めるのが精いっぱいではないだろうか。そこで、都会の生活をある程度知った人々が、里山に何らかの形でかかわり、農的生活を始めることができれば、それがウェルネスファーマ―と言えるライフスタイルにつながる。それは既存の兼業農家そのものを言うのではなく、半農半Xといわれる関わり方に近い。志ある新規就農者でも、あるいは退職後の第二の人生として里山を選んだ者でもよい。農業を既存の常識にとらわれず、新しい視点で見つめ直しながら試行錯誤をいとわず農業に積極的にかかわる暮らし方である。里山での自然循環に合わせた農的生活には都会では味わえない癒しがあるだろう。
ただし一方で、半農といえども、農薬や化学系農業資材の使用を抑えれば、雑草・害虫・害鳥獣、さらには農作物の病気などとの過酷な戦いの連続となる。農業には土壌の関係でビギナーズラックも結構多く、年を追うごとに農作物をつくる難しさに直面したりする。半農部分で十分な収入を確保するのもたやすいことではない。また、半Xの部分についても、昨今の情報通信や交通網の発達で田舎であっても都会と同じような仕事を遂行できる可能性が拡がったとはいえ、それでもそう簡単なことではないだろう。藤本氏の薦めるウェルネスファーマ―的農業生活は、あこがれはしても決して誰もがたやすく挑戦できるものではなかったはずだ。
しかし、この数年で状況はかなり大きく好転しつつある。藤本氏の生存中には想像もできなかったような、願ってもない夢の様なスーパースキームが登場してきた。様々な多面的機能をもち財務的にも強力にウェルネスファーマ―を支える仕組み、それが、ソーラーシェアリングという名の営農型太陽光発電である。2012年に40円/kwhで始まった固定価格買取制度(FIT) は、7年を経過しようとする今、その買取価格は14円/kwhとなり2019年にはこの制度そのもそのが終了見込みのため、一部には日本での太陽光発電産業は終焉との見方もある。しかし制度終了後は市場価格をベースとする取引となり、現行石炭石油ガスなどを燃料とする発電コスト10円/kwh前後での取引はほぼ底値に近い。一方で、発電設備費用もFIT当初の40円/kw近い額から、直近では急速に世界標準に近づきつつあり、16円前後/kw、発電コスト換算では10円/kwhが視野に入ってきた。自社の事業用電力は再生可能エネルギーによるものしか使用しないというRE100を推進する国際企業が増えており、今後ますます再生可能エネルギー由来の電力に対する需要がタイトになる可能性もある。そんな中で今、ソーラーシェアリングを導入するウェルネスファーマ―が売電による純利益をベースインカムととらえ基礎年金並みの年間70万円を確保するには、2500万円程度の資金調達と150kw設備設置用敷地として30アール程度の農地が必要となるだろう。自己資金投入なら投資回収分を含め年間200万円程度の個人年金となる。
世界に比べ依然割高な設備価格は今後も下がり必要投資額も少なくなる可能性が高い。当面のネックとも思われる必要敷地農地面積もパネルの発電効率向上が期待できるならもっと小さな面積でも同じ効果が望めるようになるだろう。ただ、敷地面積が余り広くなると、現行ソーラーシェアリング認可条件の一つである平均単収の8割収穫量維持基準がネックになってくるかもしれない。農業現場から見たのこの理不尽な規制基準にはまじめな農家ほど悩まされており、実態に沿った早期の見直しを期待したい。
いずれにしても、里山ではかって食料に加えて、薪や炭など自然エネルギーも生産し自然循環のなかで自給的生活をしていた。全国の里山が高齢化と後継者難でその多面的循環機能の維持が困難に直面しつつある今、ソーラーシェアリングという新しい火を得て、ウェルネスファーマ―が里山で「半農半エネ+X」ともいうべき「より良き生活」にめぐり合い、都市生活者に新鮮な刺激を送り込むなら、日本の閉鎖的空気も多少変化するかもしれない。それは100年以上にわたって世界を席巻し、近年様々な弊害を生み始めた石油文明からの脱却という世界的歴史的大転換に自ら参画し貢献することでもある。国連は2018年に世界の里山の小さな農家が、食料生産と自然生態系の循環維持に大きく貢献しているとしてその存在と権利を保護すべきとする宣言を出した。また2015年に国連で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)も最近になってにわかに脚光を浴び始めている。もはや世界がともに意識を変えなければ、この地球と私たちの「より良き暮らし」も維持できないと世界が感じ始めたのだろう。ソーラーシェアリングとウェルネスファーマ―のコラボレーションは、循環がなければ持続無しとの意味において、このSDGsの趣旨にも一致している。
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