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南イタリアの旅③・小さな港町のレモン農家での朝食

マッサ・ルブレンセ(Massa Lubrese)の朝は、ニワトリのけたたましい鳴き声で始まった。6月14日土曜日、イタリア・ソレント半島先端の小さな海辺の街、マッサ・ルブレンセの朝は早い。アグリツーリズモの農家ラ・ロブラの2階ベランダへの扉を開けると、早朝の冷気の中、目の下にレモンの林その向こうにオリーブの畑が標高200メートル近い稜線に向かって一面に広がっていた。

ベランダ前のレモンとオリーブ畑は丘の稜線まで続く

ベランダ前のレモンとオリーブ畑は丘の稜線まで続く

朝食は8時以降と聞いていたので、まだたっぷり時間がある。今日は特に予定は組まず取りあえずこの宿を中心にマッサ・ルブレンセをのんびり探索してみることにする。できればあの稜線を縦走してどこかのポイントで水彩画に挑戦してみよう。まずは朝食前の散歩でMarina la Lobraの地中海水辺へ。イタリアでは小さな集落でも、立派な教会が中央に鎮座する。ここも例外ではない。その教会の横から階段混じりの通路を挟んでカラフルな建物が連なりマリーナへと下る。早朝の通りを掃き掃除する老人男性に二階のベランダで毛布を干す女性が身を乗り出し『Buongiorno!』と声をかけている。イタリアでは、good morning に相当する言葉がない。夕方の『Buonasera』(こんばんは)まで昼間は全てBuongiorunoだ。決してお洒落なリゾート地とは言えないが、ここにはイタリアの小さな港町の普段の生活があった。『Buongioruno!』はじめてイタリア語で声をかけてみた・・・

La Lobraの朝食は、前庭のレモンの木の下に並んだテーブルに準備された。この時期レモンの木には手のひらサイズの大きな黄色い実がたくさんぶら下がっている。ときどきドスンと落下して泊り客を喜ばせた。ソレント半島はオリーブとレモンの大産地で、オリーブオイルやアルコール度の高いレモンチェロというお酒が有名だ。

イタリアの朝食は、ここLa Lobraに限らず、結構大きなケーキが定番だ。そのほか焼きたてのパンと袋入りのクッキー。そして大きなレモンジャムの瓶に加えオレンジとイチゴジャムの瓶も並ぶ。もちろんどれもこの宿の手作りだ。ラベルには2という私の部屋番号が記載してあり、毎日同じ瓶が私のテーブルに出てくる仕掛だ。コーヒーポットの横には大きなミルクピッチャーがありミルクたっぷりのCafeをどうぞということらしい。朝からこんなには食べきれないので、パンをナプキンで包みクッキーとともに今日のハイキングの昼食用にいただくこととする。ついでに、主人のTullioにお願いしてレモンウオーターをもらいペットボトルに入れて持ち歩こう。昨日到着時に部屋に準備してあったレモンウオーターが本当に美味しかったのだ。

ところで、アグリツーリズモが一般のホテル滞在と決定的違う点を到着早々に理解した。それは、食材の多くがその農家の生産物で地産地消を原則としているという事実は当然のこととして、その家族的アットホームな雰囲気のなかで、滞在者間のコミュニケーションがいとも簡単に始まるという点だ。滞在者の大半は夫婦か子供を含めた家族で私のような1人旅は多くない。最初は一人用に準備されたテーブルを持て余しながらなんとなく視点が定まらず落ち着かない食事を始めるが、隣のテーブルに一言『Where are you from?』(どこからですか?)と声をかけると、相手がカップルだろうが、子供連れだろうが一気に空気がなごんでくる。そしてそこから様々に展開する。これは一般ホテルのどこかビジネスライクで構えた空気のなかではむつかしい。

この日、向かいのテーブルでは中年の夫婦らしき人が食事をしていた。なんとなく目が合ったタイミングで声をかけるとドイツから来ておりここに3日ほど滞在するという。ドイツで教師をしているとのことだが、今一つ英語に不慣れなようで奥さんと交互になんとか対応してくれた。
その夫婦が去った後、この旅で、パリのシャルルドゴール空港乗換えの朝に描いた1枚に続いて、 2枚目の水彩画に挑戦した。レモンの木の下に準備された朝食テーブルとその向こうに今から登る オリーブの丘などうまく描きこめるかどうか・・・。 1時間足らずの限られた時間で現場の臨場感が多少なりとも出ればと願いつつタッチペンを走らす。

イタリアにはドイツからの旅行者が圧倒的に多い

イタリアにはドイツからの旅行者が圧倒的に多い

その最中、別の夫婦が近くのテーブルについて食事を始めた。私がタブレットのSurfaceに向かってしきりにタッチペンを動かしているのに多少興味を持ったようだ。このご夫婦もドイツからだった。ドイツ南部の街、シュトットガルトで自動車関係の仕事をしているとか。シュトットガルトと言えばベンツの本社をはじめドイツ自動車産業の牙城だ。この人もベンツで働いているのだろうか。奥さんともども英語も流暢で、息子さんがバイオリニストをしており、近いうちに日本にも演奏旅行するらしい。そう言えば、私もこの旅の後半でナポリに3日滞在する間に、ナポリのサンカルロ劇場でモーツアルトのレクイエムバレーを聞く予約をしていると話すと、息子さんも正に日本でそのレクイエムを演奏するのだとか。話はどんどん広がった。
『あすはどうするの?』とご主人
『明日は日曜日なので、下のMarina la lobraからカプリ島へOneday excursion(1日旅行)のボートが出るらしいですよ。さっきTullioに切符の手配をお願いしました。』
Ach so アゾウ』とご主人。正に『あ、そう!』だが、ドイツ語の意味も正にあそうそのものだ。日本語より多少納得度が大きいらしいが・・
『私たちもそれに申し込んだよ。一緒に行こう!』とご主人。
明日のカプリ島への遠足が楽しみになってきた。それにしてもイタリアのアグリツーリズモの客にはドイツからの人達が多い。かってゲーテが、ドイツの暗い気候に辟易して、アルプス南側の陽光輝くイタリアにあこがれて『イタリア紀行』をものにしたのも分かるような気がした。

②ソレント郊外のアグリツーリスモ農家へ   /   ④マッサ・ルブレンセの丘で描く